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近代製鉄の発展を促したエネルギー革命~木炭からコークスへ~
17世紀に隆盛を誇ったイギリスの木炭製鉄業は、鉄の生産に精力的に取り組むあまり、周囲の森林を喰いつぶして木炭危機に陥りました。この木炭危機によってイギリスの製鉄技術の将来は暗いものとなっていましたが、18世紀の初めにイギリスのエイブラハム・ダービー父子は石炭を蒸してコークスにし、燃料として製鉄に使うことに成功しました。
コークス高炉による製鉄は近代製鉄技術による本格的な鉄の時代への第一歩となりました。ダービー父子による製鉄技術の革命は、ワットの蒸気機関の発明とともに産業革命を促した偉大な業績です。
アイアンブリッジ峡谷博物館財団(Ironbridge Gorge Museum Trust)
イギリス西部のシュロップシャー州には、ダービーによって築造されたコークス高炉や世界で初めて鉄によって建造されたアイアンブリッジなど数多くの産業遺産が遺っています。アイアンブリッジ峡谷博物館財団は、オープン・エアーミュージアムを建設、管理し、ミュージアムの中では、19世紀当時の街並みが再現されています。
祖先が築いた産業遺産を大切に保存し、多くの人々に公開するアイアンブリッジ峡谷博物館財団の世界への働きかけによって国際産業考古学は著しく発展しました。
人間はいかに鉄とかかわってきたか
鉄は農業をはじめとする生産活動の発展に大きく貢献し、常に人間が生活する社会の土台をつくってきました。
人類が鉄をつくるようになったのは紀元前15世紀頃と思われます。古代オリエントで発生した製鉄技術は主にヨーロッパへ伝わりました。中国大陸で発生した製鉄技術は南や北から、そして朝鮮半島を経由して日本へ伝わってきたのではないかと考えられます。
何世紀も前から人類と共に長い歴史を歩んできた鉄は、人類と共にこれからも未来へ向けて歩みつづけます。
近代から現代にかけての日本の炉の変遷
近世以降の日本は先進諸国からの開国の要請によって大砲鋳造や各種の機械の製造、あるいは船舶の建造などといった面から大量の鉄が必要になりました。たたら製鉄によってつくられた鋳鉄が大砲鋳造には向かず、生産量も洋式高炉にかなわなかったこともあり、当時の急速な社会変化に対応するために、海外から強力に製鉄技術の導入を行いました。
一冊の蘭書に描かれた高炉の絵を唯一の手がかりに、試行錯誤を繰り返しながら日本で洋式高炉の操業が成功するまでには、20年というとても長い時間がかかりました。
長い年月をかけて洋式高炉が成功するまでには、日本古来のたたら製鉄の経験を積む技術者や作業者がもつ、日本の風土に合った技術力が大きく貢献していることを忘れてはなりません。
ご利用案内
入館案内 | 鉄の未来科学館 |
住所 | 島根県雲南市吉田町吉田892番地1 |
電話番号 | 0854-74-0921 |
閉館時間 | 午前9時~午後5時(入館は午後4時まで) |
休館日 | 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日) |
料金 | 一般 | 小・中学生 |
個人 | 520円 | 260円 |
団体(20名以上) | 410円 | 210円 |
3館共通券(個人・団体) | 1040円 | 520円 |
※身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方及び介助される方は、入館料を全額免除しております。