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展示資料から交流を考える・・・そして神楽

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朝、博物館玄関にかわいい尻尾が見えました。頭隠して尻隠さず・・・その正体は?

雲南市と三条市の絆

さて、10月20日、雲南市吉田町で「たたら×鍛冶サミット」が開催されます。そして、翌日には弊財団のたたら操業での鉧出しです。そんな中何か博物館でも「交流」というテーマで展示できないかと思い、ご紹介をしたいと思います。

まず、一号館一階の展示より。左奥に昭和44年(1969)のたたら製鉄操業による玉鋼でつくられた出刃包丁。新潟の越後鍛冶・岩崎重義氏とその恩師である長島先生との合作。長年博物館で展示していましたが、一昨年同じく新潟在住の飯塚解房氏によって仕上げ直しをしていただきました。

もうひとつ、手前の木箱にずらりと並んだ鑿(のみ)。これは当地出身の近代彫刻の大家・内藤伸の愛用品です。東京の小信作の鑿で、当時から美術学生御用達の鑿でした。こちらも、新潟三条の鑿職人さんに一昨年研ぎ直しをしてもらったものです。

キャプションはどうしようかな、と思い、結果冒頭に「雲南市と三条市の絆」と入れさせていただきました。

牛王マークもしっかり入っている

 

それから、全く別の形の交流に関する展示を紹介します。菅谷たたら山内・元小屋に残された棟札。企画展「菅谷たたら山内の記憶」に関連した展示資料です。文字が摩耗して読めませんが、辛うじて残っている部分から広島県庄原市東城町未渡の永明寺のものと分かりました。永明寺のある帝釈峡は広島の名勝地ですが、周辺の人々には今もなお一生に一度は「帝釈詣り」をするという風習があります。元小屋の誰かが帝釈詣りをしたのでしょうか。

戦国時代から独特の世界観を形成した永明寺。永禄4年(一五六一)「敬白帝釈勧進之事」という史料。これは当時、修験道当山派永明寺の十王堂を再興にあたり、大檀那などから寄付を請うために作成されたものです。その内容は小原の訳だとこんな感じ。「永明寺の本尊帝釈天は琰魔帝釈(閻魔大王と帝釈天が同一視されている)、正体は杵築明神、本地は馬頭観音、化身は宝積地蔵。そして、帝釈天は喜見城に居住し、時には閻魔宮に上がって、管領を補佐し罪人を取り調べる・・・永明寺は上品上生の浄土で、獣も成仏の志を持ち、猛悪不善の輩や鬼畜、木や石に至るまで一念発起し菩提心を起こせば皆成仏できる希代稀な霊地である・・・」だから寄付しなさい!というところでしょうか。

江戸時代になると、地域の社人によって永明寺の本尊・帝釈天をモデルに神楽の演目もつくられました。「帝釈天の能」というもので、その内容はこんな感じ。帝釈天王が天竺のしんたつ長者によって建立された「黄金の光塔」の本尊を承る。その時、下界の修羅が攻めてきて、帝釈天は須弥山の七分に陣を取り、神通の矢・方便の弓をもって応戦し、修羅を退治し三界の衆生を守護安穏した・・・と。

え?なぜ神主さんがこのような神楽を作ったの???そんなことを思われた方、ぜひ11月25日の雲南たたらナイト大東編へお越しください。(文責:小原)

 

 

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